南町三丁目商店街振興組合
特集 竹脇元治 「旧市街地・中心商店街・再生への道」 P3
平成12年7月9日
≪4≫生きる証しはチャレンジ精神
お茶を水戸の土産品に 水戸から中央郵便局への上り坂、銀杏坂バス停前の「茶舗・牧の原」を訪ねた。最近販売を始めた「水戸茶」について興味を持たされ、社長の五條史男氏にその辺を含めた「商人としての考え」についても聞いてみた。葬儀業とのタイアップ、若者にお茶を身近に感じてもらうための抹茶ソフトクリームの販売、郊外店への出店等、常にいろいろな可能性についてチャレンジ精神を失わずに行動を起こし続けている店だ。 水戸のお土産品にお茶?との素朴な疑問に、何のてらいもなく答える姿は創業者の持つすごみなのだろう。水戸市の隣り町、常北町に古内という地区があり、江戸時代には、この地区の茶畑から取れるお茶が徳川家に献上されていたという歴史を知り、「なぜこのような素晴らしいものが埋もれてしまっているのか、何とかならないものか」との発想を基に生産家の方々との検討の結果が「水戸のお土産品・水戸茶」の誕生になり、水戸市優良観光土産品として登録されるまでになった。 昨年オープンした亀印製菓の「お菓子夢工場」に入店している売店で始めた「水戸茶」の販売は、予想をはるかに越える実績を作ったという。さらなる販路としては、県物産協会からの支援を受けJR水戸駅構内の土産品売り場での展開も視野に入れ始めている。また、単品ではボリューム感が不足と、考案したのが「水戸」をイメージできる「梅」を使った”水戸偕楽園・梅こぶ茶”だった。かわいいい巾着袋にパッケージされたこの追加品は水戸土産のお茶に広がりを持たせたようだ。亀印「お菓子の夢工場」の集客力も成功の大きな要因なのだろうが、お茶を水戸の土産品としてとらえる発想が導いてくれた結果と思う。 口コミと継続の成果 20年前、商工会議所が中心になり駅前から大工町まで地区で消費者サービスデーを作ろうとの提案があり、毎月一回一割引の日を設けた時期があった。南町三丁目の場合は「三の日サンキュウデー」等の企画だった。しかし、いつの間にかそれは消滅していた。ところが、五條氏の店は毎月第一金曜日に一割引サービスデーを今でも続けていた。「一度決めたら、続ける。これが信用を生む商売なのではないか」と彼はいう。この日の売り上げは、3、4倍になり、毎月この日を楽しみに来店されるお客様も多いと聞く。来店客が多ければ、当然レジ待ち時間もできる。この時出してるお茶のサービスが、おいしいと思ったり、その方の味覚に合えば「このお茶もいただこうかしら」との言葉につながる。こんなに、お互いに気持ちがよくなるなんて、これが商売の楽しさでもあり喜びなのだ。何でもなさそうなサービスデーも、続けることで浸透していく。こんな小さなサービスも街区全体で続ければ、思わぬ再生への糸口になるのかもしれない。 昔の良さの再発見 今、「御用聞き」の配達システムが高齢者ばかりでなく、、共働き家庭の多い中で見直しがされている。このシステムを五條氏の店では、だいぶ前から始めていた。TVショッピング・通販カタログ・訪問販売等店舗を持たない宅配を利用した物販も増えている。そんな中で、「御用聞き・配達業務」は現実に存在している「店舗」が、お客様に実感と不安感を持たせない「街の店」として生き残れる一つの道ではないかと彼は語る。 私も配達の話を聞きながら、自分の店での出来事を思い起こしていた。隣家の洋品店のお客様がシルバーカー(座席の付いた買い物車)が古くなり、買い替えるつもりでも郊外のホームセンターまで行かないと買えないからと困った顔をされた際、隣のカバン屋さんにも置いてあると紹介を受けた方が来店をされた。ご希望の座れるショッピングカー(ウオーキングステッキ)があり、配達の依頼があった。すぐ帰宅されるとのことだったので、送りがてら配達する事になった。家から15分くらいの店に古いショッピングカーが置いてあるという。それなら、そこにもお寄りすることにし、店を出た。車の中で道すがらお客様は、一気にお話を始めた。ご家族のこと、そして今は一人暮らしでいること等々・・・玄関に新しいウオーキングステッキを置いた時「本当に今日はよい日だったわ。学生時代に買い物をしたカバン屋さんで、この年になってまた買い物をして・・・いろいろお話もできて、ご迷惑だったでしょうが、ありがとう」と感謝の言葉をいただき「こちらこそありがとうございます」と答えていた。 五條氏は「竹脇君、それだよ。その気持ちが一番なんだよ。一つ一つ積み上げをして何とかしていこうよ」なぜか彼にはいつも”元気”をもらっている気がして仕方ない。 |
平成12年7月23日
≪5≫造られた街と造り上げる街
大規模施設の方向性 最近「そごう」の倒産が話題になってる。山一證券に驚かされた後、次月と起こる大企業の倒産に免疫ができたかのように、「またか!」程度の気分になってきている。幕張の「ララポート」など、そごうは巨大ショッピングセンターを次々と展開していった。私は話題になっている施設の視察に関しては、開店景気の薄らいだ半年から一年後を目安に出かけている。諸団体の研修会などは、開店当初に訪ねることが多く、比較すると面白い。ララポートに関しても数回訪ねているが、巨大さゆえに時代の流れに対応すべき変化の工夫は見られても、インパクトとして残るものは、新規出店の競合化に比べ弱い。これが「造られた街」の宿命なのかもしれない。 例外的に驚異的な生き方をしているのが「東京ディズニーランド」だ。この施設の出現を機に次々と企業や行政がらみの第三セクター方式のテーマパークが造られていった。そして今、苦境に立たされている。東京ディづニーランドはバックボーンに大きな映像の世界とキャラクターを持っている上に、次々と新企画の投入を休みなく続けることで生きている。造られた街(あえてテーマパークも含めてみたが)は、成り行きでは生き残れないのだ。企画という創造の世界からの出発は、切り口面の少なさから、常に投資を続ける必要性があるのだ。 自然発生的にできてきた従来型の市街地商店街は「造り上げる街」と思う。地域の特性や個店の努力、住民の要求などが成り行き的に、ゆるやかに造り上げ、出来上がったものだ。 コンサルタントの造る街 つい最近、他新聞社の主催だったが、水戸を拠点にショッピングセンターのプランニングやコンサルタントを手掛けている用田貞夫氏「ショッパーテイメントの思想が新時代をつくる」との公演を聞いた。彼とは旧知の間柄で、行政の審議会・討論会などでの同席や趣味のコンサートで一緒になったりしている。水戸・南町のサントピアで市内初の若者向けファションビルの企画者として実績を確立し、その後、次々とその視野を全国的に広げていった。良質でファッション性があり、しかも低価格がもてはやされる時代の次に来るものは、ほしいものを買うだけではない「買い物をする時間を楽しめる」売るだけではない楽しさの提供が大事だという。人間の持つ本質「見たい・見せたい・見られたい」この要素を今、話題の「内原町大規模商業施設」に投入する準備をしているようだ。水戸京成百貨店が6店舗くらい集まった規模(12万u)の建物と拡大な駐車場を持つこのショッピングセンターは、ジャスコを核とし、専門店・飲食・スポーツ・文化・レジャーの多機性を持たせたものを計画中らしい。水戸・笠間も含め、この施設の脅威は想像を絶するものがある。零細小売店は閉店を余儀なくされ、大型店とて集客の激減は目に見える。ジャスコの出店攻勢は、自社同士の食い合いも予想される店舗間隔5キロ程度でも平然と出店を続けている。当然地元中小の小売店は太刀打ちできるはずもなく、一人勝ちをした後は、自社店の整理統合も予想される。本当にこんな施設を必要とするのか疑問が残る。 大規模店の社会的な責任 日本の各都市で突然の大型店閉店(最近の県内では下館ジャスコ、全国各地でのダイエー・近鉄・そごう等々)が、街の活気を消し、都市機能にまで弊害をもたらしている。自然発生的に集約されてきた従来型の商店街は、確かに利便性でも負の要因は多いが「突然消える」変貌の術を持たず、ゆるやかな変化の下に生きてきた。消費者の求めるエキスを集約した新規施設の魅力は、計り知れないものもあるが、映画のセットのように一夜で消える裏腹さも同時に持っている。今、大型店は社会的な責任を負う時代となっているはずだ。旧市街地の再生は、虫歯の治療のようであり、何もない所へ、おいしさの集約されたものを造る方が見栄えも良く、結果もすぐ出る。ただこれまで培われた街の機能の多面化や、お互い支え合って来た部分の崩壊にもつながる。 若者文化で生きる街 大阪心斎橋近くに、カジュアルファッション・エスニックスな店などが集約された「アメリカ村」なる地区がある。息子がその街での人気店「鐘馗堂」に友人を訪ねた。その店は30万円前後の革ジャンを中心に衣料・アクセサリー・雑貨の店で、同様の路面店やファションビルが建ち並ぶ地区に3店舗を展開している。「人が多い・家賃は高い・高額品から安物まで・ごちゃごちゃして面白い・おしゃれをしての来街者」20代の息子の印象だ。ファションビルも個性的な店も同居している不思議な街は「売り手も、買い手も、生き生きしていた」という。郊外店へは行きにくい人々もいて、その人たちにとっては公共交通の便利な市街地での買い物の場(大都市ゆえか)の必要性を実感して帰って来た。 |