南町三丁目商店街振興組合
特集 竹脇元治 「旧市街地・中心商店街・再生への道」 P12

≪27≫得意分野の融合と連携 平成13年6月25日

水戸TMOのソフト事業 2001年は、日本とイタリアの交流年にちなんみ、茨城県近代美術館では「イタリア彫刻の21世紀展」が9月から10月にかけて開催される。同時期の9月28日は「日本女性会議2001みと」が文化センター・市民会館を中心に開催され、さらに中村紘子氏の特別記念コンサートも同日、水戸芸術館で開かれる。 そんな中で水戸TMO(街づくり推進機構)が企画していた「南町エコステーション事業」をより効果的なものにしようと、近代美術館・日本女性会議実行委員会等と協力しながらお互いの不足を補うべく、企画会議を南町連合商店会(会長・国府田昭氏)と水戸商工会議所(担当・藤田理事)を中心に進めてきている。 エコステーションは、東京・早稲田商店街で有名になったリサイクル啓蒙運動ともつながる事業で、空カン、空ビンを回収ボックスへ投入すると、商店街企画の景品なり、サービス券をもらえる仕組のものだ。リサイクルの大切さを楽しみながら学んでもらえる事で話題になり、全国的に波及していった。南町では、あくまで実験的なものとし、南町2丁目と4丁目に書く台ずつ設置を予定している。反応を見て好評であれば継続事業として運営していくのも可能だ。
各団体との連動・共同企画 「日本女性会議2001みと」への中心街区からの協力は、水戸TMOからの補助を受け駅前より大工町までの間を「歓迎フラック」の取り付けの準備をしている。ただ、同時期に近代美術館のイタリア彫刻展開催、南町連合商店会のイタリアフェアも重なるため、1枚のフラッグに「女性会議」と「イタリア」のイメージ出来るデザインで併用したものを下げたいと思っている。 女性会議は、今年で18回目を迎え、年々参加者が全国から集まり、増え来ている。昨年は三重県の津市で開催され「そうや!女も男もおんなじ人間やんか」をテーマに3700人が参加したと言う。水戸市は「世紀を拓こう・あなたと偕に」をテーマに4000人の参加者を想定している。基調講演会は(加藤登紀子氏の“農的人生のすすめ”等)の他に13のテーマ(環境・人権・教育・政治・地域など)を分科会で議論をしたり、パネルディスカッションやグルメツアーも計画されている。 そして、この会議の余波が泉町2丁目の毎月第4金曜日開催の「宴や夜市」(夜9時まで店を開けてみる)を中心街区全体に広げようと、アンケートを取り、少なくとも女性会議の当日だけでも実施しようとの動きも出ている。 これには、水戸映画祭実行委員会や、芸術館広場でのアーティストによるフリーマケットグループの協力を受けて楽しい『花金』を創り出した泉町2丁目に学ばなければならない。
茨城県近代美術館との共催 これについては、別枠で取り上げなければならない程、盛り沢山の企画(学芸員・山本哲士氏)が予定されているので概略だけ触れてみる。 近代美術・イタリア彫刻展を期に「イタリアフェア」を南町全地区で開催をし、相乗効果で盛り上げていこうとしている。エコステーションに関しても、美術館の入場券を景品にしてみようかとか、係わる人達を増やす事で一人でも多くの人に街への興味を持ってもらうべく、茨城大学の学生による「フラッグのデザインと製作」や文化学園や常磐大学の協力によるイベント企画実施も予定している。 各店のウィンドウの一部を借りてのディスプレーや南町三丁目ハーモニーホールでの「デザイン展」屋「トークパーティー」、歩道上のギャラリーボックスに「イタリア関連アート」の展示、 レストランでは「食・イタリアフェアー」も考えている。さらに可能性は低いのだが境正章氏らも参加しているイタリアクラッシックカーのパレードの旧県庁舎への立ち寄りも模索している。可能であればいっそう華やぐのだが ・・・。 

≪28≫遺産や史跡の生かし方 平成13年7日16日

故郷を離れて30年・その街を思う男 学生時代からの友人に東京在住の久保幸造君という絵描きがいる。ジャズメンの絵を書き続けると,もう40年近くになる。レコードのジャケット、仏のジャズ専門誌の表紙、最近はワインのラベルにまで彼の絵が登場するようになった。そんな彼も私と毎晩のように飲み歩いていた時代は、ボトル1本で最小のカンバスに絵を描き渡したりもしていた。そして得意技は、目を閉じたままウイスキーのグラスコースターの裏に私の顔を描き出し、取り巻きの連中に配布していたことだった。 今、彼の絵はバブル当時からみれば半額になってしまったが、年に数回の個展だけでも十分な収入を得ている。そうさせたのが六本木のある画商だった。まず、ニューオリンズは数ヶ月行かせ(現在はアトランタオリンピックの開催で観光整備され、きれいな街になっている)ジャズの街の危うさを数百枚スケッチさせ持ち帰らせることを数回繰り返した後、一気に以前の売価を桁違いにして、全国の有名ギャラリー、百貨店で彼の絵を売りまくった。
街が育てた人物を上手に生かす 現代の浮世絵師と自負している彼の絵は作品の独創性もありよく売れた。ジャズマニアにとっては宝物になっているし、海外ジャズメンも自画像の注文もしてくれていた。そんな彼の水戸と似ている体質の街・松山の百貨店での凱旋展と思えるような個展は故郷への強い思いもあり大きな反響もあったが、非儀礼的な行動は地元画壇からの反発も受けたらしい。それでも毎年、個展を続けているのは「松山」にこだわりをまだ心に持ちつづけているからなのだろう。 そんな松山を以前訪ねているが、松山城と俳人・正岡子規、そして道後温泉の3本立ての定番の街だった。商業集積度の高い大きな商店街と裏通りには飲食店も張り付き、回遊性もある格調高い街並みだった。 俳句ポストが街中にあふれ、正岡子規記念館も映像や音声を上手に組み入れ楽しみながら移動できる工夫をこらした施設だ。 水戸黄門や横山大観等エースの切り札を持つ水戸はどうなのだろうか。城はないが、名園偕楽園がある。そして当時は日本一と呼ばれていた藩校・弘道館等、有り余る程の観光資産をもっていても生真面目な市民性なのか、どうもそれらを生かしきれてないし、商業活性化との結びつきも少ない感がある。
偕楽園の美意識を考える 今朝、6時半ごろだったか、偕楽園下の緑化フェア跡地の公園を犬と散歩していると「竹脇君おはよう!」とジョギングの兄さんが追い越して行った。返事をしながら白髪の少し混じった頭を見ると、市長の岡田さんだった。万年青年もそれなりになったのかと遠のく姿を見ながら偕楽園の観光客導入方法の話と思い出していた。故佐川市長にも同じ話をしたこたがあるが、正門には駐車場がなく、導入経路としては無理との共通の返事があった。観光ルートとしては史実と違いは多少あっても脚色として楽しさを持たせれば許される部分もあっても良いと思う。 そんな気持ちでも日本を代表する公園が、出口から大多数入園する仕組みにはいただけない。それらしく本気で偕楽園を捉えるなら、今は「好文亭表門」と表示されているこの表門から入園してこそ、この公園の本来の良さが発揮できるのだ。うっそうとした竹林と大木の杉林、吐玉泉の水、木立が切れると広がる梅林、好文亭や南壁面に立てば眼下には千波湖が見える。 この手順があってこそ偕楽園の美意識を感じてもらえる公園なのだ。残念ながら現は出口からの導入をしている。JRの偕楽園駅とて同様だ。常磐神社に入り口ではあるが偕楽園にとっては出口なのだ。水戸駅→弘道館→南町の声の聞ける黄門像→芸術館→歴史観→偕楽園ルート等、観光客が回遊できる街としても生き残りたいものだ。


≪29≫根付いてほしい南町・エコステーション 平成13年7月30日 

故郷を離れて30年・その街を思う男 学生時代からの友人に東京在住の久保幸造君という絵描きがいる。ジャズメンの絵を書き続けると,もう40年近くになる。レコードのジャケット、仏のジャズ専門誌の表紙、最近はワインのラベルにまで彼の絵が登場するようになった。そんな彼も私と毎晩のように飲み歩いていた時代は、ボトル1本で最小のカンバスに絵を描き渡したりもしていた。そして得意技は、目を閉じたままウイスキーのグラスコースターの裏に私の顔を描き出し、取り巻きの連中に配布していたことだった。 今、彼の絵はバブル当時からみれば半額になってしまったが、年に数回の個展だけでも十分な収入を得ている。そうさせたのが六本木のある画商だった。まず、ニューオリンズは数ヶ月行かせ(現在はアトランタオリンピックの開催で観光整備され、きれいな街になっている)ジャズの街の危うさを数百枚スケッチさせ持ち帰らせることを数回繰り返した後、一気に以前の売価を桁違いにして、全国の有名ギャラリー、百貨店で彼の絵を売りまくった。
街が育てた人物を上手に生かす 現代の浮世絵師と自負している彼の絵は作品の独創性もありよく売れた。ジャズマニアにとっては宝物になっているし、海外ジャズメンも自画像の注文もしてくれていた。そんな彼の水戸と似ている体質の街・松山の百貨店での凱旋展と思えるような個展は故郷への強い思いもあり大きな反響もあったが、非儀礼的な行動は地元画壇からの反発も受けたらしい。それでも毎年、個展を続けているのは「松山」にこだわりをまだ心に持ちつづけているからなのだろう。 そんな松山を以前訪ねているが、松山城と俳人・正岡子規、そして道後温泉の3本立ての定番の街だった。商業集積度の高い大きな商店街と裏通りには飲食店も張り付き、回遊性もある格調高い街並みだった。 俳句ポストが街中にあふれ、正岡子規記念館も映像や音声を上手に組み入れ楽しみながら移動できる工夫をこらした施設だ。 水戸黄門や横山大観等エースの切り札を持つ水戸はどうなのだろうか。城はないが、名園偕楽園がある。そして当時は日本一と呼ばれていた藩校・弘道館等、有り余る程の観光資産をもっていても生真面目な市民性なのか、どうもそれらを生かしきれてないし、商業活性化との結びつきも少ない感がある。
偕楽園の美意識を考える 今朝、6時半ごろだったか、偕楽園下の緑化フェア跡地の公園を犬と散歩していると「竹脇君おはよう!」とジョギングの兄さんが追い越して行った。返事をしながら白髪の少し混じった頭を見ると、市長の岡田さんだった。万年青年もそれなりになったのかと遠のく姿を見ながら偕楽園の観光客導入方法の話と思い出していた。故佐川市長にも同じ話をしたこたがあるが、正門には駐車場がなく、導入経路としては無理との共通の返事があった。観光ルートとしては史実と違いは多少あっても脚色として楽しさを持たせれば許される部分もあっても良いと思う。 そんな気持ちでも日本を代表する公園が、出口から大多数入園する仕組みにはいただけない。それらしく本気で偕楽園を捉えるなら、今は「好文亭表門」と表示されているこの表門から入園してこそ、この公園の本来の良さが発揮できるのだ。うっそうとした竹林と大木の杉林、吐玉泉の水、木立が切れると広がる梅林、好文亭や南壁面に立てば眼下には千波湖が見える。 この手順があってこそ偕楽園の美意識を感じてもらえる公園なのだ。残念ながら現は出口からの導入をしている。JRの偕楽園駅とて同様だ。常磐神社に入り口ではあるが偕楽園にとっては出口なのだ。水戸駅→弘道館→南町の声の聞ける黄門像→芸術館→歴史観→偕楽園ルート等、観光客が回遊できる街としても生き残りたいものだ。

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